もう何十年前のことだろうか…
小学校6年生のとき、闘病中だった伯母が40代で亡くなった。
その事実を知らされたとき、自分が感じているものが何なのか、いまいちピンとこなかった。
(今思えば…当時は感情を抑えるのが当たり前になっていた)
寄り添いの力
思い出はたくさんあるのに、それらをいくら頭の中に浮かべても、言葉も出ないし涙も出ない。
「おばちゃんに手紙書こう、棺に入れるから」
母から便箋を渡されたが…一文字も書けない。
(その後、絞り出して何かは書いたが、たぶん大したことは書けていない)
お葬式でも、感情が「動く」という感じはなかった。
でも、すべてが終わってみんなで斎場を出る前のこと…親戚のひとりが、何気なく私に言ったのだ。
「みっちゃん(伯母)は、さおちゃんに○○とか、○○とか、いろいろしてくれたんだよね」
「こんなこともあったよね」
「あのときは楽しかったね」
それを聞いたら、堰を切ったように涙が溢れてきて気づいたら声をあげて泣いていた。
その涙はいったいどこにあったんだ?というくらい、いつまでも止まらなかった。
私に声をかけてくれた親戚が誰だったのかは忘れてしまったが、
「言葉にできない感情に寄り添ってくれたことで一気に溢れた」
その感覚だけは覚えている…思い出した。
お姫さま練習ノートでは、吐き出した感情に「執事さん」がとことん寄り添ってくれる。
絶対に否定しない。
どんな感情も受け止めて、寄り添う。全肯定。
だから、自分の本当の想いに気づける。
そうだった。
「寄り添う」ってやっぱりすごいことなのだ。
突然思い出した、伯母のお葬式での出来事。
子どものころの「体感」と今の仕事、なんだか繋がっているような…そんな感じがした。