畠中さおりプロフィール
マインド講師(キューイスト)。
「人生は自分でつくれる」と信じていたのは10代まで。成長するにつれて、思い通りにはいかないことが当たり前になり、流されるように生きていた。
そんな自分を変えたくて、新しいことに挑戦したり、複数の継続講座で学んだりしていたが、何年も状況は変わらなかった。
2021年よりお姫さま練習ノートを書き始め、同時に現在講師を務める「ライフデザイン講座」で学ぶ。ここでやっと、自分らしく生きるためには心を整えることが大切だと気づく。
現在は、みずからの経験を生かしながら、自分らしく生きる女性を増やすために活動している。
大人女子の学校・ライフデザイン講座の認定講師。
変わりたいと願う女性たちに「変わるきっかけ」をお届けしています。
自分のことがよく分かる【1Dayセミナー】や、仲間とともに心・身体・コミュニケーション・夢を叶える方法まで体系的に学ぶ【4ヶ月の継続講座】を全国で開催中。
※畠中さおりは東京エリアで活動しています(オンラインは全国対応可)。
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自分を知って、活かして、うまくいく〜青い炎×じわじわ変化タイプの戦い方
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詳細プロフィール
幼稚園
外を駆け回って遊ぶのが大好きだった。苦手な遊びはおままごと。自己主張ができず、友達の言いなりになってしまう性格で、いつも出番の少ない役しかやらせてもらえなかった。
生まれ育った関東から、父の単身赴任先の山口県に家族で引っ越す。幼稚園も転園。
山口県の幼稚園に入ったばかりのころ、友達の話している方言が分からず、コミュニケーションを取るのに苦労した。
クリスマス劇の配役決めの際、他の女の子たちに押しつけられる形で聖母マリア役(主役)になる。本番を見た保護者たちは褒めてくれていたようだが、衣装が気に入らなかったので、本人としては記憶に残っていない。
髪を伸ばすことや可愛い服を着ることを、親に許してもらえなかった。
見た目で性別を間違えられることが多かった。
小学校
大規模な学校だったこともあり、いつまでも集団生活に馴染めなかった。
やはり友達の言いなりになってしまう。
給食の「完食指導」により、人と一緒に食事をするのが苦痛になった(大人になるにつれて自然に克服した)。
「友達ができなかったら可哀想」と親に心配され、小学校入学のタイミングでエレクトーンを習い始める(高校卒業と同時にやめたが、社会人になってから再開した)。
クラスメイトが書道を習っていたのが羨ましくて、1年生の夏ごろから自分も習わせてもらうことになった(高2まで継続)。これが自分に合っていたようで、さまざまな大会で賞を取り続けた。
2年生の夏に関東へ戻り、小学校も転校。自分としては地元に戻ったつもりだったが、小学校卒業まで転校生扱いされていた。
首の後ろに大きなほくろがあり、それをクラスの男の子にからかわれるのが辛かった。親にお願いして手術を受けさせてもらったことで、堂々とTシャツを着られるようになった。
エレクトーンを習っていた友達が、高学年になると続々とピアノに転向。「エレクトーンは小さい子が習うもの」という雰囲気に流され、自分もピアノを習わせてもらったが、一年しか続かなかった。またエレクトーンに戻ったら「好きなのはこっちだ!」と確信(色々やらせてくれた親には感謝している)。
中学校
全校でひとりだけピンクの自転車に乗っていた(派手な色ではないので校則は守っている)。先輩や同級生にいろいろ言われたが、みんなと同じでいるほうがイヤだったので全く気にしていなかった。
尖っていたのは自転車の色だけで、基本的には真面目で模範的な生徒だった。
部活でいじめに遭う。家に帰ってから、毎日親に「◯にたい」と言っていた。それだけ辛くても「辞めたらいじめてくる人たちに負けることになる」と思い、引退まで耐え続けた。
運動部だったので体力はついた。体力テストの中でも特に苦手だったシャトルランで、50回まで走れたときは感動した(人生最高記録)。
部活以外は、ほとんど勉強していた記憶しかない。
成績は良かったが、テストの順位は最高で学年2位だった。卒業まで一度も1位を取ることはできなかった。
数学と体育だけは、どう頑張っても「5」が取れなかった。
「この先、自分をいじめていた人たちよりも良い人生を送る」ことを目標に努力した。
2年生のときに「プロの演奏家の指導を受けたい」という目標ができたことで、エレクトーンの練習に力を入れるようになった。練習時間が劇的に増え、他の人の演奏なども研究するようになる。努力が実り、3年生の秋ごろにプロの先生のクラスにスカウトしてもらう。
高校入試では苦手な数学で大失敗したが、他の4教科がほぼ満点だったおかげで、奇跡的に第一志望に合格する。
高校
エレクトーンに全てを捧げていた。平日は3〜4時間、休日は10時間以上練習。友達との遊びや、家族での外食も断って練習していた。
月1回の特別レッスンの日に、お小遣いでスタバに行くのが楽しみだった。
2年生のとき、初めてチケット代をいただくコンサートに出演。何もかもが初めてだったので、衣装も髪型も先生の言う通りにした。当日の写真を見返したら全然似合っておらず、かなりショックを受けたので、翌年のコンサートでは曲から衣装まで全て自分の意思で選んだ。
通っていた高校は、人間関係のストレスがなく最高だった。生徒は女子のみだったので、みんなで協力してなんでも乗り越えることが当たり前になった。
修学旅行で人生初の海外へ行く。
エレクトーンを頑張りすぎて、勉強が疎かになる。
書道の全国大会で1位になり、母と一緒に新幹線で表彰式へ。慣れないVIP待遇により、ずっとソワソワしていた。帰りの新幹線で食べたお弁当が美味しくて、表彰式よりもそちらのほうが印象に残ってしまった(母も同じだった)。
音大受験ができなくなる。普通の大学を目指すことになったが、他にやりたいことがなく、なかなか志望校が決まらなかった(ついでに成績の問題もあった)。
入試で失敗したことよりも、上京のためにエレクトーンをやめなければならないことのほうがショックで泣く。
大学
妥協して選んだ大学へ進学し、未来への希望を失っていた。入学して最初の2ヶ月間は、新しいことを始める気力もなく、家と学校の往復だけで精一杯だった。
大学内の劇団に所属したことで、授業以外の時間も充実し始める。
公演前の1ヶ月間、毎日2時間睡眠で台本を書いていた。本番終了後に「顔色がひどすぎる」と先輩に言われ、鏡を見て初めて顔が土色になっていることに気づく。
20歳のときに全身麻酔での手術を経験(命に関わる病気等ではない)。
学外では、国際関係のイベント運営や科学館での展示運営など、大勢の人と関わる活動にいくつもチャレンジしていた。自分の性格とは正反対だが、それを認めたくなかった。
自分に自信がなさすぎて、就職活動がうまくいかなかった。そんな自分を責めることも多かった。
大学卒業後に内定をいただき、同級生よりも遅れて社会人となる。「今回の面接もどうせダメだろう」と思い、気分転換に映画を見に行ったら、その帰り道で内定の連絡を受けた。
社会人
学習塾と人材関係の会社で勤務経験あり。無形商材しか扱ったことがない。
学習塾時代は夜型生活で、休みは週1日。繁忙期は毎日12〜13時間くらい仕事していた。
就職してからもずっと自信がなかった。自分を変えるために学んだり、資格を取ろうとしたりしたが、どれもうまくいかず苦しむ。
2017年、人生を変えるきっかけのひとつとしてこのブログを開設。自分の書いた記事に価値があると思えず、書き溜めてきた600記事を一気に削除したことがある。
転職活動が長期化しがち。
2021年、現在の仕事でもあるマインドの講座(ライフデザイン講座)を受講。学ぶことや肩書き、がむしゃらに行動することよりも、マインドを整えることが大切だと気づく。その後も学びと実践を続ける。
2023年2月より、会社の仕事もしながらマインド講師(キューイスト)としても活動スタート。
2023年の秋に、20年来のコンプレックスだった顔のほくろ(26箇所)を除去。おかげで、以前よりも写真に映ることへの抵抗がなくなった。
その他の情報
クリフトンストレングス(ストレングスファインダー) 上位資質
- 内省
- 最上志向
- 未来志向
- 慎重さ
- 目標志向