最近(というよりいつものことだが)、マインド講師の仕事への想いをもっと深掘りしたくて、過去を振り返っている。
その中で…
過去の私が抱いていたのは「無力感」ではないのかも?と思い始めている。
「自分には何もないと思っていた」よりも、「力はあるような気がするけれど、その使い方が分からなかった」のほうが、今の私にはぴったりな表現のように感じるのだ。
過去を改めて捉え直す過程をシェア
以下、本日(8/19)時点での私のプロフィール。
(そのうち変わると思う)
学生時代に大きな夢を絶たれたことで、「何でも叶えられる自分像」が崩れていき、無力感に苦しむようになる。
大人になってからは、自分探しの沼から何年も抜け出せずにいた。
終わらない学びを手放し、心から望む生き方を叶えるためにライフデザイン講座を受講。
自己価値の低さにより迷走し続けた経験から、そのままの自分を丸ごと認め人生を切り拓いていく仲間を増やすべく、キューイストとして活動している。
これまで(定番の自己紹介)
「自分には何もないから、知識を得たら人生が変わるはず」と思って学んでいた。
それでも変われなくて、最終的にずっと避けてきた「マインド」を学ぶところに行き着いた。
現在(捉え直した結果)
自分の中に、まだ「何らかの力」があるのは分かっている。
でも、その力を解放する方法が分からなくて、それを知るためにさまざまな学びをしていた。
それでもうまくいかなかったので、最終的にずっと避けてきた「マインド」を学ぶところに行き着いた。
「いろいろ学びすぎて迷走してきた」という事実は同じだが、それを表現するのにぴったりな言葉が変わっただけ。
表現は、最初に決めたものから変えなくてもいいのだ。それだって間違いではないから。
でも、「今の私にはこちらが合う」という感覚は大切にしていきたいと思う。
自分が成長しているから新しい捉え方ができるようになったわけで…そのたびに「自分を表すもの」も変化させていくのは自然なことかな、と。
迷走していた期間は長いけれど、「自分には何かがある」と信じていたから学び続けていたのだろう。
(諦めが悪かった、とも言えるのか…)
「100%何もない」と信じていたら、すべての可能性をないものとしていたはず。
その先で今どんな人生を送っているのか、想像するのも怖い。
ここまで、すごく抽象的な話だとは思う。
普段は、実際に体験してきたことをベースに「○○で悩んでいたところから、こんな道を通ってきて今があります」という部分だけを伝えるから。
もちろん、それも私の大切な経験ではあるけれど、根っこの部分は今こんな感じです。
まだまだ成長中。