先日みんなで話していたとき、こんな話題になった。
「肩書きに囚われなくていい」
もっと自由でいいよね、と。

肩書きに振り回されていた過去
職業や肩書きに囚われてしまうことって、あるあるだと思っている。
- ◯◯ではないから〜できない、〜してはいけない
- ◯◯だから〜できない、〜してはいけない
私の場合は、新卒で教育の仕事に就いたとき、
教育学部の出身でもないのに
教員免許も持っていないのに
「先生」と呼ばれていいのか?と苦しんでいた。
生徒たち・保護者様は「先生」と呼んでくれるけれど、「先生」である自分を受け入れられなかった。
自分で自分を「先生」と言ったことは一度もない(頑なに言わなかった)。
他の仕事に就いたときも、「私にそれをする資格があるのか?」というのは常に考えていた。

そして、もうひとつ。
肩書きを探して悩み続けてしまうこともあった。
私って何の専門家なんだろう?
いろいろあって、ひとつに絞るのは難しいな…
そうなると、こんな私を表す言葉って何だろう?
あれも違う、これも違う…
「で、私って結局何の人なんだっけ?」
そうやって、どんどん自分が分からなくなるループへ。笑
肩書きによって、自分で自分を動けなくしていた場面は多い。
肩書きのない「私」でもいい
医師や弁護士のような、絶対に資格がないと就けない職業は別として、
- イラストレーターではないから絵を仕事にしてはいけない?
- アーティストじゃないから自己表現してはいけない?
- ラジオパーソナリティではないから音声配信してはいけない?
他にも…
- 会社員だから好きなことができない?
- 子どもがいるからひとりの時間を楽しんではいけない?
それって本当なのだろうか?
実は、存在しないルールに支配されているだけである。

そして、肩書きは無理につけなくてもいい。
欲しいならあってもいいけれど、縛られてしまって苦しくなるならなくてもいい。
ただ「私」であるだけ、でもいいのだ。
- 私であることに価値がある
- 私がすることには何でも価値がある
- 何でも仕事にできる
- さまざまな形で人に貢献できる
そんな意味を込めて。
私は、肩書きをつけないほうが動きやすいかな。今のところは。

自分が苦しくなってしまうような肩書きなら、無理に持たなくていい。
肩書きのない「私」で、自由に生きていい。
(このあたりの感覚・考え方は人によると思うので、自分の心地よさを知ってあげるのが大事だと思う)
「何かに縛られると苦しくなる」
これは私のトリセツ。