選んだものが最終的には正解となる

「二択になったとき、必要以上に悩む」

これ、以前の私なのだが…⁡ありますか?⁡同じような経験。⁡

絶対これが正解!なんてない

⁡誰かに二択を提示された場合も、⁡自分だけで選ぶ場合も。⁡

選びたいものは⁡心の中で決まっているのに、⁡「本当はどちらかが正解で、⁡もう一方は不正解なんでしょ?」⁡って考え始めるの。笑⁡

⁡「これを選んだ場合のメリットは…」⁡

「いや、でもこちらのほうが○○だから…」⁡

「あの人のことだから、⁡きっと○○と考えているに違いない…」⁡

⁡こうやって深読みしすぎて、⁡どんどん沼にはまっていくのだ…⁡

(これが三択になるとよりヤバい)⁡

モノだけでなく、趣味でも、仕事でも…⁡「どちらがいいのかな?」って⁡、ぐるぐる考えてばかりで決められない!!

⁡そして、自分以外の⁡外側のいろんなものを気にして、⁡

「きっとこちらが正解だろう」

自分のときめきなど無視して選んでしまって後悔…

⁡こんなことがよくあったなあ…と思う。⁡

⁡でも、マインドを学び始めてから感じるのは、⁡「本当にどちらでもいい場合がほとんどだった」ということ。⁡

最初の仕事が二択だった話

私の最初の仕事は学習塾の先生だった。

最終的に選択肢が二つになって、当時は本当に悩んでいた。二つが正反対の働き方だったから。

そのときに決め手となったのは、自分の手に入れたい未来をイメージできたことだった。

当時お世話になっていた方の言葉で。

「子どもたちに囲まれている未来か、コツコツものづくりをしている未来か。どちらがいい?」

このアドバイスがあったことで、正解不正解ではなく、「どちらのほうがワクワクするか」で選択することができたのだ。

正直、何度も「この選択は失敗だった」と思った。

(元々コミュニケーションが得意なほうではなかったので、特に最初は苦労が絶えなかったため)

それでも、なんだかんだで教育の仕事を続けてきて、今も講師として楽しく働いているので、最終的には「正解」になったなあ…と感じている。

過去の自分だって、⁡どれを選んだとしてもうまくいっているし、⁡うまくいかないことがあってもきっと立て直しているはずだ。

そこは信頼していいと思う。

(私たち、実はとっても強いんだから)⁡

⁡どちらを選んでも大丈夫。

この「安心感」があるのとないのとでは、⁡これから進む速度も、進める距離も、⁡全然違ったものになるはずだ。

  • ブックマーク

この記事を書いた人