今回はですね…ある「事件」の話をしたいと思います。
事件といっても、別に悪いことをしたわけではありませんし、人に迷惑をかけたわけでもありません。
ただ、私の思い出というか、人生には深く残りました。
私の人生に残る「事件」の全貌
お話しするのは今から7年前、2019年のことです。
私は当時書いていたブログの記事を、約600本、一気に削除したんですよ。
どうしてそんな極端なことをしたのか、そしてその裏にあった「自分らしい発信の本質」について、今回は深掘りしていけたらなと思います。
自分だけの場所として始めたブログ
当時の状況を振り返ると、2019年はブログ(※このブログのことです)を始めて2年が経ったころでした。
自分の名前でドメインを取って立ち上げた、私にとって最初の発信の場なんです。
それまでSNSも全くやっていなかったので、自分の考えを表に出す唯一の場だったんですよね。
ブログを作ってからは書くのが楽しくて、結構高い頻度で更新していたと思います。
「すごい人」たちへの劣等感と、迷走の始まり
ただ、私の周りにいた人たちが…
ブログ経由で自分のサービスにお客さんを集めている方や、広告収入だけで生活している方、出版している方など、すごい人ばかりだったんです。
そんな人たちを見ていて「私にはそうなれないな」と思いました。
自分がブログを通してどうなりたいのかは、考えても浮かばなかったのですが…それでも分かったことがあります。
「今の自分のまま書き続けても、何にもなれずに終わるんだろうな」
そこで私は「上手くいっている人の発信を真似するのが正解なんだ」と思い込み、色々な人の書き方を真似するようになりました。
最初は「これでいいんだ」と思っていましたが、しばらくしてだんだんと違和感が出てきたんです。
「自分が書いたと思えない」という強烈な違和感
何より辛かったのは「自分が書いているのに、自分が書いた記事だと思えない」ということでした。
間違いなく自分で手を動かして書いた記事なのですが、それを見ても「本当に私が書いたものなのか?」と疑ってしまう。
だんだんと、自分の書いた記事がゴミみたいに思えてきてしまったんですよ。
文章としては人気が出そうな書き方になっていたのかもしれないけれど、そこには「私」がいなかった。
それが自分でもよく分かってしまったんです。
迷いなくゴミ箱へ…600記事を無心で消した日
そして、やってしまいました。
600記事を一気に全部消してしまったんです。
私のブログは、記事を一度ゴミ箱に入れてから「完全に削除する」という操作が必要なのですが…そのときは「完全に削除する」をためらいなく押していましたね。
「ゴミはさっさと捨てたい」という一心で。
記事数が0になり、またブログを再開したものの「書いた記事をしばらくすると消してしまう」という時期が続きました。
書いたそのときはいいのですが、少し時間が経つと「やっぱりこれじゃダメだ」と思って削除してしまうんですよね。
のちに自分の心(あり方)と向き合ってから、また楽しく記事を書けるようになりました。
学び:自分以外の人間にはなれない
この事件からの学びを言葉にするなら「自分以外の人間にはなれない」ということですね。
自分じゃないものになろうとしているときって、言葉が出てこないんです。
何を書いたとしてもしっくりこず、納得がいかないまま記事にする。
そんな風に自分以外になろうとしたのは、やっぱり良くなかったなと思います。
誰かのことを「正しい」と思っていても、自分の無意識の領域では「そっちじゃないよ」と分かっているんですよね。
そして、もうひとつの気づきは「正解は1つじゃない」ということです。
出版も、イベントも、ブログで稼ぐことも、その人がやりたいようにやっているからこその正解です。
今思い返すと、上手くいっていた人たちは全然無理をしている感じがなく、ありのままの自分で楽しそうに発信していました。
大事なのはそこだったんだな、と思います。
「ちゃんとしなきゃ」を手放した、今の軽やかな発信
今はブログを削除したころと比べると、とても軽く発信ができています。
「ちゃんとしなきゃ」という思いを手放したので、どんどん記事を公開できますし、リアルタイムに近い形で出せています。
ブログは私の原点ですので、これからも大切にしていきたい場所です。
もしも今、発信で悩んでいたり、自分のことを伝えるのが上手くいかないと感じているなら、私の体験が少しでもヒントになれば嬉しいです。
この記事は、Podcastの内容をNotebookLMで再編集したものです。