Podcast|#002 「適当」が救いになる。コミュニケーションへの苦手意識を克服した私の気づき

かつての私は、人と話すことに極端な苦手意識を持っており、必要なことは話せても、雑談がどうしても苦手でした。

昔は上司が振ってくる雑談に対しても「仕事に関係ない話をしないでほしい」と本気で思っていたほどですが、現在は人並みにコミュニケーションが取れるようになり、困ることもほぼなくなりました。

大きな転機となったのは、就職して学習塾の教室責任者になったことです。

「自分への矢印」が失敗の原因だった

自分から生徒や講師、保護者に働きかけなければならない立場になり、最も苦手だった「雑談」が大事な仕事になってしまったのです。

特に、大人の常識が通用しない部分がある子どもたち(生徒)と話すことには、最初は本当に戸惑いました。

配属当初は自分から話しかけることができず、生徒から話しかけられても会話が続かないため、申し訳なさを感じる日々が続いていました。

しかし、模索する中で「自分に矢印が向くとうまくいかない」ということに気づきました。

「こうしなきゃ」と考え出すと、相手の話を聴くことよりも「自分がどう振る舞うか」に意識が向いてしまい、それが自分や相手をコントロールしようとする不自然な言葉に繋がっていたのです。

「面白いこと」よりも「ラリーを続けること」が重要

私は面白いことを言うのが得意な人間ではありません。

それなのに「頑張らなきゃ」とできないことをやろうとしていたことが間違いでした。

大切なのは、相手の話を引き出す視点を持つことだったのです。

具体的には、相手が投げてきた球をいかに早く返してあげるかという「ラリー」を続けることがポイントです。

まずは「そうなんだ」「え、何それ?」といった簡単な返しで十分であり、気の利いた返しや面白いことは求められていないのです。

雑談は何かを与えたり受け取ったりするものではなく、その場が楽しくなることが一番大事なのだと気づきました。

「軽い球」を投げることと「適当でいい」という救い

こちらから投げる球も、いきなり重い「鉄球」のようなものを投げるのではなく、軽く投げてみて、相手のエネルギーに合わせて返せば良いのです。

自分なりにコツを掴んだとき「適当でいいんだ」と思えるようになりました。

これは「いい加減」という意味ではなく「肩の力を抜いていい」という気づきです。

ルールで自分を縛り、コミュニケーションを重く捉えすぎていた私にとって、この言葉は救いとなり、仕事に行くこと自体が非常に楽になりました。

今でも苦しさを感じた時は、お守りのように自分に「適当でいいよ」と言い聞かせています。

コミュニケーションは「ゲーム」であるという答え合わせ

その後、元ニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんの著書『なぜこの人と話をすると楽になるのか』に出会いました。

その本の中にあった「コミュニケーションはゲームである」という表現に触れたとき、自分が模索してきたものの答え合わせができたと感じました。

吉田さんのアナウンサーとしての経験に基づいた学びを、自分なりに取り入れることで、現在は人並みにコミュニケーションが取れるようになっています。

コミュニケーションは本来、気楽で大丈夫なものであり、重く感じるのであれば「適当」なくらいがちょうど良いのです。

この記事は、Podcastの内容をNotebookLMで再編集したものです。

  • ブックマーク

この記事を書いた人