記録魔の母から学んだこと

先日、母と電話していて、詳細に記録を取ることの価値を感じた瞬間がある。

九星気学から来年の運勢の話に発展し、そのうち大昔の京都旅行の話に繋がった。

私が「行ったことすら曖昧だ」と言うと、「ちょっと待って」と受話器を置いた。そして持ってきたノートを見ながら、「○年の○月にみんなで行ったよ」と言うのだ。

「○○寺の目の前にあった鞄屋さんが~」

「京都に行く○か月前は○○に行ってるよ」

20年以上も前のことなのに、とても詳しく記録してあったのだ。

常に記録する母

小さいころの記憶の中に、「母がノートに何か書いている姿」が強く残っている。

毎日、何かあるごとに、コツコツと……

家計簿と合わせて、どこで何をしたのかも書き留めていたのだ。

当人としては当たり前のことなのだろう。

でも私には珍しく映った。よく飽きずに続けられるな、と。

(夏休みの宿題の絵日記を溜めに溜め、最終日にまとめて捏造するような子だったので……)

母は東京に遊びにくるときも、必ずメモとペンを持っていて、「どこへ行った」「どの電車に乗った」とか、移動中にもメモをとっていた(これをあとでノートに転記するのだ)。

バスで移動しているとき、「さっきの電車賃、いくらだっけ?」と聞かれたことがある。「メモするの忘れちゃった!」と。

自分の記録スタイル

そんな母に対し、私はすべてのことを記録しているわけではない。

ブログに書きたいことは詳細に記録をとるようにしているが、そうでなければただ経験するのみ。書く前から無意識にネタの選別をしているともとれる。

そしてもうひとつ、「ブログにどこまで書くか」問題。

詳しいほうがいいのだろうけど、そこまで細かく残す必要ある?と思うこともあった。調べればよくない?って。

でも母とのやりとりがあってから、細かい情報こそ残しておいたほうがよさそうだな、と思った。

自分のブログ(母でいうノート)を見ればすべてが分かる、という状態にしておくのは大事かも。

公式サイトがなくなる可能性だってあるし、よく考えたら調べる手間がかかってしまう……

京都旅行にしても、母が20年以上も前のことを覚えているのに、私はそれより後の修学旅行の記憶すらない。

情報の細かさ・詳しさが関係しているのだと思われる。

詳細に記録する効果(予測)

なんでも書き残しておけば、もちろんあとでネタにはなるだろうけど、効果はそれだけではないと思う。

文字で残しておけば、記憶が改ざんされることはなくなる(どこかで聞いたことがある、記憶は勝手に書き換えられるって)。

あとは……何より「思い出」だよね(笑)

思い出の鮮度をよいままに残しておける。先日の母も、いろいろ思い出して楽しそうだったし。

振り返るのが好きなタイプではないが、通って来た道をしっかり残しておくことで、少しでも自分が「変化している」という実感も得られそう。

(メンタリストDaiGoさんの動画で見たのだ、前に進んでいる感覚が大事だと……)

さいごに

さて……私だって「母すごいなあ」で終わるわけにはいかない(笑)

毎日寝る前に、「その日に考えたこと」「発言した内容(たまに自分でも驚くようなことを言うので)」「できたこと」などを少しだけ詳しく書いてみる、というのを始めた。

なんとなくの日記にならないように気を付けている。

まずは継続するのが大事だが、続けていくうちに「これを発信したら面白そうだな」と思えるようなネタが見つかるかもしれない。

まだ始めて数日だが、「何もしていない日はない」ということは分かった(笑)

頑張ったことは記録しておいたほうがいいなあ、誰かに見せなくても。

しばらく続けて、変化を見てみようと思う。

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