これからのキーワードは「遊ぶ」!

多くの情報に触れる中で、急に引っかかるようになった言葉がある。

「遊ぶ」

経験上、思わぬタイミングで頭に浮かんだり、突然気になり始めた言葉には、何か意味があることが多い。今の自分に必要なものを示していたりする。

この一語にヒントが詰まっている気がする。

「遊ぶ」はダメなことだった

「遊ぶ」という言葉に対するイメージは良くない。

子どものころ「勉強しなさい」と言われたことはないが、「どうして遊んでばっかりなの!?」「遊んでいないで〇〇しなさい!」と言われることは多かった(たぶん家の手伝いとか、生活習慣に関して)。

その過程で、知らないうちに「遊ぶ=いけないこと」みたいな公式が出来上がっていたのだろう。

「遊ぶ暇があったら〇〇しよう」という考え方をするようになり、「遊び」にあたるものを自分から遠ざけるようになった。

大人になってもそれは変わらず。

世の中にはいろんな遊びがあるけれど、そのすべてが悪いこと、ダメなものという認識。

何に対しても「清く正しく美しく」がいいことで、そのためには決められたことをやるべき、型にはまるべき……そうやって考えるから、どんどん頭が固くなるし、型を外れるのが怖くて動けなくなる。

「こんなことしていいのかな?」「ダメだよね?」と、自問自答を繰り返す。だから前に進めない。

「遊ぶ」ことで自由になる?

ここ数日、本を読んだり映像を見たりする中で、「遊ぶ」という言葉がやたらと入ってくるようになった。人と話していても、なぜか会話の中によく出てくるのだ。

主に音楽や映像など、創作活動に関して。私が特に興味を持っている分野だ。

「音をわざと汚して遊ぶ」とか「画質を粗くして遊ぶ」とか。音楽のレッスンでも、「〇〇して『遊んで』みると面白いよ」って言われたり。

人々の言う「遊ぶ」に対して、そんなことしていいの!?って思う自分がいる。

でもそれは、抑圧されて(して)きたゆえの「抵抗」であって、その先にある新たな面白さには気づけていないわけで……

今までの自分に圧倒的に足りなかったもの、それが「遊ぶ」ことなのだろう。

取っ掛かりとしては型にはまることも大事だと思うが、私はそれが過剰すぎた。

正しいかどうか、整っているかどうか……そんなことばかり気にしているうちは自由になれないなあ、と思えたのだ。

そして、「遊ぶ」というのは怠けることでも無意味なことでもなく、むしろ「自由」になることなんじゃないか?と。

私にとっての「遊ぶ」は、下記のようなイメージ。
・決まった方法以外を試すこと
・ひと手間加えてみること
・「ありえない」と思うことを、あえてやってみること

それによってどうなるのか考えてみた。
・思わぬものが生まれそう
・発想力が鍛えられそう
・楽しそう

ざっと挙げてみたけれど、要は「試行錯誤」なんだろうな。それを「遊ぶ」という言葉でも表現できるよ、ということ。

これからどうするのか

今までの人生を振り返ってみると、物事を「深める」ことで充実感や楽しさを得ていたことが分かる。

ここから先は、「遊ぶ」が「深める」の過程になると思うのだ。

型にはまりすぎていないかな?誰かの後を追うだけになっていないかな?と、自問するところから始めようと思う。

きっと乗り越えなければならないことも多いだろう……笑

でも、レベルアップするチャンスだと思って。

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