本書を手に取った理由はズバリ、著者自身と、著者の表現が好きだからである。
若林さんの著書は『社会人大学人見知り学部 卒業見込』も読んだことがある。こちらもエッセイで、たくさん共感しながら読んだことを覚えている。
たくさん共感したということは、私も考えすぎな(めんどくさい?)ところがあるのかもしれない……
もちろん、本書も絶対に読もうと思っていた。エッセイを読みながらメモを取ったのは初めてだ。
ここが響いた!
★他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う
本書の後半で、若林さん自身が「スターバックスで『グランデ』と言えない理由」について述べている箇所がある。
その原因は「自意識過剰」であり、自意識過剰の元をたどっていくと「他人を心の中で散々バカにしてきたこと」に行き着く、とのこと。
下記4つが例として挙げられている。
・大学でサークルに入ること
・学園祭に本気で取り組むこと
・海外に一人旅に出ること
・告白すること
これらを「みっともない」と片付けて参加しない。
すると、自分も誰かに「みっともない」と言われるのが怖くなってしまう。好きなことであっても楽しめない、という事態に陥ってしまう。
その結果、自分で自分の可能性を狭めてしまい、「生きてて全然楽しくない地獄」にハマってしまう……
このように繋がっていたそうだ。
他人を貶めることでそれができない自分を正当化する。
それがいちばん楽だろうし、ついやってしまいそうになる自分に気づくこともある。
しかし、ちゃんと自分にも返ってくるのだ。チャンスを自らの手で潰してしまうのだ。こんなに恐ろしいことはないだろう。
若林さんは「生きてて全然楽しくない地獄」を脱出するために、「ノートに自分が楽しいと感じたことを書く→他人を肯定する言葉を書く」という作業を続けたそうだ。
好きという感情は「肯定」。好きなことがあるということは「世界を肯定すること」。
世界の見方が変わることで、生きることが楽しくなっていくのだ。
他にも!ポイントメモ!
・試すってすごく楽しいことなんだ(=何かがうまくいく喜びには、それまでうまくいかない苦しみが必要不可欠)
・一人で居てもあまり寂しくないのは、自分と話しているからなのだ
・自分の中の正解と誰かの正論は根本的に質が違う
・自分の外側ではなく、内側におもしろいことを創る
・野心や欲望は衝動だから、自然に湧き上がってくるものであって、「持て!」と言われて持てるものではない
・内(自意識)ではなく外に大事なものを作った方が人生はイージーだ
・価値下げによる自己肯定は楽だから癖になる
・好きなことがあるということは、“世界を肯定している”ことになる
・生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった
・“勘”といわれるものは今までウケたこと、ウケなかったことのデータの総量の瞬間的な結論(=打席に立たないとダメだし挑戦しないとデータが集まらない)
・外のジャッジが正しいとは限らない
・何歳になっても“昨日より伸びしろが広がることがある”
まとめ
生き辛さに苦しんで、答えを探し続けて、やっと光が見えてくる。そんな軌跡がたくさん詰まっていた。
人によっては「考えすぎ」という言葉で片付けてしまうのだろう。
それでも、自分の中の違和感をそのままにせず、納得するまで探求することは必要だと思う。自分自身の気づきこそが、自分を変えるいちばんの方法なのだ。
若林さんの文章を読んでいると、共感ポイントがどんどん出てきて、苦しくなったりほっとしたりする。やはりタイプが似ているのだろうか、ちょっとだけ……
前作も、もう一度読みたくなってきた。