「生きていて楽しいですか?」
そう聞かれて「はい」と即答できる自信がない。
年齢を重ねても、何一つ変わっていない気がする。
「去年の今ごろ」を思い出しては、何も進歩していないと感じる。
毎日が同じことの繰り返しで、「自分らしさ」みたいなものはどこかへ行ってしまったような・・・
「ソース」のサブタイトルは『あなたの人生の源は、ワクワクすることにある』。
この本を読んで、私はワクワクを取り戻すことができるのだろうか。
好きなことは「全部」やる
「好きなことは全部やろう」
「やりたいこと全部に、同じだけの感心・情熱を持とう」
大人になったら、滅多に聞かないセリフだ、実際、こんな風に言われたことは一度もない。
社会に出ると、いろんな考えが邪魔をする。
・仕事が忙しいから
・時間がないから
・お金がないから
・普通はそんなことしない
・今からじゃ無理
「一般的に」「社会的に」「普通は」「みんな~だから」
こういった言葉の持つ力は圧倒的だ。
もし反することがあれば、「普通じゃない人」「非常識な人」として認定されてしまう。
ずーーーーっと人生停滞している感があるのは、世間の言う「ベストな生き方」をしようとして、うまくいかなかったからなのかもしれない。
「真面目だね」「いい子だね」って言われて生きてきたし、それがいいんだと信じていた。
実際そのような性質なのかもしれないけれど、人によく思われるために頑張っても、なにも面白くなかった。
普通の人は「やりたいことを全部やる人生は難しい」と思っている。
私もそのような人間のひとりだ。
でも、そこから抜け出す勇気を持たなければならない。
そういう時期にきているのだ。
みんなと同じが悪いとは思わないけれど、それはきっと私の望む生き方ではない。
責任とは何か
「責任」という言葉の意味、よく分からないまま使っていないか?
「責任」と聞くと、「引責辞任」とか「責任を取って〇〇します」みたいな言い方しか思いつかない。
辞書で調べると、一番目の意味は「立場上当然負わなければならない任務や義務」とある。
しかし、これは周りの期待に応えるということではない。
責任とは「自分が心からしたいことをすること」なのだ。
ならば私はひとつも責任を果たしていない。
自分の人生に責任を持つ=「やりたいことをやって生きる」ということ。
その前に、だ。
私がやりたいことは、ぱっと思いつくだけでもいくつかあるけれど・・・たぶんお金にはならない。
厳密には「すぐにはお金にならない」。
これもきっと思い込みなんだろうけど、どこかで「手っ取り早く結果を出せる(お金を得られる)ことをしなければ意味がない」というのがあるのだ。
損得勘定が第一になると、ワクワクとかけ離れた生き方になってしまう。
完全に大人のアタマになっているな・・・
お金は必要だけど、そのためにやりたくないことをやるなんて虚しすぎる。
結果につながるプロセスを楽しもう。
楽しいことをしていれば、ちゃんと道が拓けてくるはずだ。
まとめ
そもそも、私のやりたいことって何なのか?
ワクワクのヒントは、子どものころに好きだったことの中に隠れているとのこと。
子どものころの感覚なんて、いちばん信用できないと思っていたけれど、どうやらそれはただの幻想らしい(笑)
純真無垢で、損得勘定なく生きていたあの頃・・・
ちょっと過去を振り返ってみようと思う。