おすすめをおすすめできない私のおすすめについて

好きなものはある。もちろんあるのだが……それを人におすすめできない。

いいものは人にすすめたくなるものだ!なんて言われたりもするけれど、私はそうもいかないのだ。一度、その理由をはっきりさせようと思う。

【理由1】相手の好みに合うかどうか、必要以上に考えてしまう

おすすめするからには試してほしい(行ってほしい、見てほしい、食べてほしい)と思う。そう思うが故に、「おすすめする=相手に気に入ってもらえなければならない」という公式を勝手に作ってしまっているのだ。

気に入ってくれるかどうかは相手の問題なので、私自身がどうにかできるものではない。相手の気持ちを操作することなんてできないのに、そこにフォーカスしてしまい、結果、おすすめするのをやめるのだ。

【理由2】「私におすすめする資格なんてない」と思ってしまう

これは「おすすめ」以外にも言えることだが……私は、自分の「好き」のレベルを「大したことないもの」とみなしがちである。私程度のレベルでおすすめなんてしていいのだろうか?を考えてしまうのだ。

熱狂的なファンというのは、どの世界にもいると思う。尊敬するレベルで「好き」を貫いている人たちを見ると、「私なんか……」と一歩引いてしまう。

それぞれ、自分が心地いいレベルの「好き」を集めて生活できればいいのに、どうしても人と比べている自分がいるのだ。

【理由3】「おすすめポイント」が相手にもマッチするかどうか考えてしまう

「もの」「こと」そのものが好きというよりは、それをすることによって深いところで感じる「何か」のほうが大事。「楽しい」とか「便利だから」とか、そういうことにとどまらないのだ。

例えば……文章を書くのは好きだけれど、「文章を書くのは楽しいよ」だけでは済まない。

「文章を書くことによって、普段押さえている感情とか、自分の新たな一面とか、だんだん明らかになっていくのが楽しいんだよ。なぜなら……」「辛かった出来事を書き出すことで、その辛さがだんだん浄化されて癒されていくんだよ。その理由はね……」という感じ。「そのもの」からはかけ離れたところにおすすめポイントがあるのだ。

そしてその「何か」が、果たして相手のニーズに合うのだろうか?と考えてしまうのである。「私がおすすめすることで、同じ感覚(感情)を味わい、感動してもらうことはできるのだろうか」と。

そこまでの責任感は、一体どこからくるのだろうか。むしろ迷惑なのでは……?

【結論】もっとライトに考えていいんだよね、きっと

きっと考えすぎなのだ。上記3つ、すべてが結局「考えすぎ」なのだ。

人に何かをおすすめされることもあるけれど、私自身はそんなに重く受け取ってはいない。気に入れば、自分の中での「お気に入り」にもなり得るし、そうでなければ「そうなんだね」「そういうのが楽しいと感じるんだね」と、ただ相手を受け入れるのみである。

それでいいのではないか?

自分の手ではどうにもできないことに振り回されるのではなく、「この程度の『好き』では……」なんて卑屈になることもせず、堂々と、自分の中で「好き」の種をじっくり育てて、それを人に「伝える」だけでよい。

おすすめしなきゃ!じゃなくて、「こういうのが好きなんです」って伝えるだけで十分なのだ。それも要は「おすすめ」ってことだし。

こちらが重いと、相手もきっと重く感じてしまうだろう。気軽に好きなものを「好き」と言えばそれでいいのだ。「おすすめ」という言葉を、「ものすごく崇高なもの」だと捉えないことだ。

そんな私の「おすすめ」について。

【1】しんどくなったら展望台から夜景を眺める

「ああーーーーー失敗した!!!」というときは、展望台に登って夜景を見るようにしている。きれいな夜景に癒されるというのも理由だが、どこまでも広い街を見ていると、「苦しみに呑まれるなんてもったいない」と思えるからだ。

悩みがちっぽけに思える、とまでは言わない。それはちょっと言い過ぎな気がするから……ただ、「一人で苦しむことはないんだな」と感じることはできる。

夜景は器が大きいのだ。

お気に入りは、六本木ヒルズ森タワーの「東京シティビュー」。タイミングによっては混んでいるし、景色を見るだけで1,800円かかるけれど、苦しみの大きさに比べたらどうってことはない。

年パスもあるようだが、作ろうとは思わない。そんなに苦しむつもりはないからである。

【2】半分に切ったメロンをスプーンでくりぬいて食べる

「贅沢な気分になれる」というのはもちろん、素材をできるだけそのままの形で食べるというのは、なかなかいいものだ。本当の意味での「素材そのまま」。ただメロンが好きなだけなのかもしれない、きっとそうだけれど。

ちなみに北海道には「サンタのひげ」という、半分に切ったメロンにソフトクリームが乗っているスイーツがある。

「ポプラファーム」というお店で取り扱っている。道内でも、中富良野本店と小樽店の2店舗しかない。富良野か小樽に行くタイミングでないと出会えないのだ。

5年前の北海道旅行では、小樽店で「サンタのひげ」を食べた。半分は食べきれないと思ったので、小(1/4)サイズを注文した。海沿いで、9月にしては寒く、テラス席で凍えそうになりながら食べたのはいい思い出。

【3】旅先で山に登る

本格的な登山ではなく、ロープウェイで気軽に登るものである。

昼間の晴れた景色もいいけれど、夜は家々やビルの明かりがひとつひとつ見えるので特によい。周りにカップルとご夫婦しかいなくても、そんなことは少しも気にならない(これはきっと人による)。

都心と比較すると、建物の高さに違いはあっても、「たくさんの人が住んでいて、それぞれの場に人の営みがある」という事実は同じなのだ、と感じられる。「旅先というアウェー感」×「高揚感」×「開放感」のなせる業である。そして、旅に出てまでいろいろと考えを巡らせてしまう原因でもある。

札幌では「藻岩山」、新潟では「弥彦山」、松山では「城山(松山城)」、伊東では「大室山」へ登った。次はどこの山へ登るのだろうか(どこを旅するのだろうか)。

そういえば、サウンド・オブ・ミュージックの「すべての山に登れ」という曲も好きだった。

【4】ラジオを生活の軸にする

表現を変えると「テレビを見ないこと」である。テレビを否定するつもりはないけれど、欲しい情報をピンポイントで得たいならば、どちらかというとラジオのほうがいいんじゃないだろうか、と思うのだ。

そしてラジオのいいところは、「聴きながら作業ができる」こと。テレビはどうしても「目」が奪われてしまうけれど、ラジオならば目が自由なので、他のやりたいことと並行して楽しむこともできる。一石二鳥なのである。

それに「声だけで伝えるメディア」ってすごいな、と思うのだ。ちゃんと景色が浮かぶし、笑えるし。アナウンサーやパーソナリティの実力あってのものだろうけど、それを抜きにしても優れたメディアである。

ちなみに母は、よくテレビを「聴いて」いた。作業しながら音だけ聴く、というスタイルである。なんだか勿体ないような気もするし、ラジオで良くない?とも思ったけれど、とりあえずそっとしておいた。今はどうなのだろうか。

まとめ

要は「夜景」と「メロン」と「高いところ」が好き、ということだ(あとラジオも)。こうして単語だけを並べてみると、実に薄っぺらい感じである。もちろん他にも好きなものはあるけれど、今回はこのあたりでやめておこう。

いつか・どこかで体験したことは、そのまたいつか・どこかでも繰り返しているようだ。旅先で体験したことは、やはりいつまで経っても覚えているようで、非日常だったはずなのに、いつの間にか自分の中のスタンダードになっている例は、意外とたくさんあるのかもしれないな、という気づきがあった。

そして「おすすめ」って、どんなに些細なことであっても、やっぱり一言じゃ収められないんだなあ……と思った次第。

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末光咲織

末光咲織

東京都在住/夜型勤務の会社員/好きなもの:エレクトーン、ミュージカル、街歩き/気になっているもの:日本の歴史、和食、東京の東側