私と平成時代~今日、生まれた元号が終わる

平成生まれの私にとって、元号が変わるという経験は初めてだ。なんというか・・・「落ち着かない」。この一言に尽きる。

なにも地球が滅亡するわけではないのだ。明日はやってくるし、これからも続くのに・・・なぜか「終わる」という感覚がものすごく強い。卒業式や引っ越しの前日みたいな心境、いや、もっと重いやつである。年号が変わるそれともまた違う。

昨年、改元が決まったそのときは何とも思わなかった。でもいよいよ明日となると・・・これは一大事である。気づくのが遅すぎた!

いつだって「平成」だった

「平成生まれであること」は、ごくごく自然なことであった。何か書類を書くときは、記入日と誕生日の年号は同じ。普段の生活で平成以外の年号を見ることはほとんどなかった。

私は長女だから「親は昭和生まれ、子どもは平成生まれ」の家庭。まわりの友達もだいたいそうだったけれど、昭和生まれの兄弟がいると聞くと、ちょっと不思議な感じがした。昭和と平成の区切り=大人と子どもの境目、だったから。

そのうち「平成もだいぶ長く続いているな」と感じるようになった。新卒で入社した会社では「平成2年生まれが社会人かー!」と驚かれ、仕事以外でも自分より年上の人たちとばかり関わるようになると「平成生まれなの!?若いねー!」なんて言われることが増えた。

平成に生まれて、平成に育って、平成しか知らない。常に平成が「NOW」で最先端だと思っていた。だから意識していなかったけれど、自分の生まれた元号って特別なものだったのだ。

平成が過去になっていくこと

小さいころは、自分が大人になるイメージなんてまるでなかった。ずっと小さいままで大事にされて育っていくんだと思っていた。それがあっという間に学校を卒業し、成人し、社会人になり、毎日会社に行って・・・来年には30歳である。

母親の子ども時代の話がはるか昔のように思えていたのに、時代とともに、私も確実に年を重ねているのだ。

テレビや雑誌で見た平成初期さえも、大昔のような感じがした。もちろん今だってそう思う(カメラの性能もあるだろうけど)。家庭科の教科書に載っている「時代とファッションの移り変わり」という写真を見て、「古臭い」だの「ダサい」だの笑っていたあの頃はもう遠い過去・・・

あと10年20年もすれば、平成も「過ぎ去った時代」という扱いになってしまうのだろうか。平成生まれとしてはそうなるのが寂しいけれど、仕方ないことなんだろうなあ(笑)

そのうち「あの頃はよかった」なんて言い始めるのかもしれない。いや、あの頃「も」よかった、と言おう(いつだって最高でいたいじゃないか!)。

これからが「私の時代」

そこで考えたのだ。平成に生まれたものの、平成は「私の時代」だったのか?と。

子ども時代=育ててもらっている期間が長かったし、親やまわりの大人たちが作ってくれた環境で生きてきただけなのではないだろうか。ちょっと言い過ぎかもしれないが、「元々の環境あっての私」だったと思っている。

親の作った家庭で育ち、幼稚園から大学まで通わせてもらって、今。ずっと守ってもらえたから不自由はなかった。そのかわり、うまく枠に収まって生きてきた。それも悪いことではないけれど・・・それでは本当の人生ではないと気づいてから、今までとはちょっとずつ違う方向に歩き始めている。

「令和」は、自分の意志で歩き始めてから迎える、初めての元号だ。ここから切り拓いていけるのだ。すでに作られた時代から作っていく時代へ。本当の意味での「私の時代」はこれからなのかもしれない。

最後に

ひとつの時代の終わりを経験するのが、こんなに早いとは思わなかった。今日で平成が終わる。時代は、人生は、ずーっと同じじゃないんだな・・・と感じる貴重な出来事である。

元号についてあれこれ申すつもりはないが、「平成」っていいよなあ・・・大切なものは失ってから気づくのだろう、でも今回は失う寸前に気づけてよかったね(笑)

30年も生きていない私が言うのもなんだけど、とてもいい時代だったと思う。令和もきっと素晴らしい時代になるよ!

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末光咲織

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