分かるのが怖い

昨日、父の病気が発覚した。

正しくは、「昨日、父が病気であることを知らされた」

その1か月前くらいから、家族内で動きはあったらしい。

9月末には妹も連れて、3人で築地のがんセンターに行っていたとのこと。

検査の結果が出るまでは、あえて私には何も言わないでおこうと思ったそうだ。

昨日の記事

母が異変に気づいた

父はいつも、お風呂から上がると自分の部屋に直行し、さっさと寝てしまう。

しかしある日、お風呂上がりの格好のまま台所に来たらしい。

何気なく父の足を見た母が、左の太ももがパンパンに腫れているのに気づいた。

どれくらい腫れていたのか聞くと、「あんた(私)の太ももの2倍くらい」とのこと。

イメージしずらいけれど・・・元々太いとはいえ、それだけ腫れるなんてやはり異常だ。

父は、ずーっと隠していたのだ。

その後、隣町にあるかかりつけの病院へ。

「うちでは対応できないので、他の病院を紹介します」

そこで病院を3つ紹介され、いちばん交通の便がいい、築地の国立がん研究センター中央病院に決めたそうだ。

「分かること」、それが怖い

「なんでこんなになるまで黙ってたのかね・・・」

母は言った。

「病院に行って、原因が分かったほうが安心なのに」

私はこう返した。

「あのね・・・たぶん、『分かるのが怖かった』んだと思うよ」

病気だと、がんだと分かってしまったら、それを認めなければならない。

テレビでは、がん患者の闘病の様子もよく見てきた。

「がん=死」と、真っ先にイメージしてしまう。

でも、分からなければ可能性の中に逃げることができる。

たぶん大丈夫だろう、って言える。

分からないのも怖いけれど、直面する怖さと比べたら・・・

「そうか・・・そういうことかもね」

私も同じような経験があるので(結局がんではなかったけれど)、そんなことを思ったのだった。

そういえば

今年の8月、1年半ぶりに実家に帰った。

久しぶりに会った父は、異様に痩せたような気がした。

母に言ったら「え?そう?毎日見てるから分かんないねー」「最近、食べる量は減ったけどね」と返ってきた。

その「食べる量が減った」というのも、「年齢を考えて量を減らしている」と思っていたそうだ(実際そうしていたようだが)。

そのときは「あー・・・そうなんだ」くらいで終わってしまったのだが、その1か月半後にこうなるとは。

昨日、電話で母が言っていた。

「あんた、あのとき『お父さん、ちょっと痩せたよね』って言ってたでしょ?」

「あの頃から、急に食べる量が減ったんだよね」

「ご飯(米)いらないって、うどんを食べることも多かったんだけど、うどんも半玉くらいしか食べられなくて」

「でも、今日病院から帰ってくるときに、『お腹空いた』って言って、パンを2個食べてね」

「そのあと、駅の中で売ってるフレッシュジュース、あれを飲みたいって言ってさ」

「メロンにするー?とか言いながら、結局ミックスにしたんだけど」

「Mサイズは多すぎるからダメ!って、Sサイズを2つ買って、2人で飲んだのよ」

「ちょっと安心したのかもしれないね」

今日はちゃんと食べられただろうか。

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末光 咲織

末光 咲織

東京在住20代会社員。100%自分主体で生きていない・・・と感じ始めて早数年。この違和感をどうにかしたくて、自分らしく生きるための在り方・やり方を学んでいる途中。2018年は大きく変わる一年にしたい。
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