「個性が強い=主張が強い」とは限らない

身の回りには、個性の強い人が多い。

明るくて、華やかで、一際目立つ人ばかり。

そのような人と対極にいる私は、いつからか「自称・無個性」として生きるようになっていた。

だから、人と話すときに、若干後ろめたい気持ちになることがある。

つまらない人だと思われているんだろうな、と。

ある人と話していて、話の流れで「私、ほんと個性ないんですよー」と言ったら、「いやいや、十分個性的だよ!」と返ってきた。

「話を聞いていると、見かけによらずアクティブだし、すごくギャップがあっていいよ!」とのこと。

楽器が好きで、今でも習っていることについては、「この年齢になっても続けてるっていうことは、相当好きだってことだよね」「なかなかいないよ、そんな人は」と、その人は言った。

そうやって捉えてくれるんだ・・・と、嬉しさと同時に衝撃を受けた。

「意外とアクティブだね」「ギャップがあるね」というのはよく言われる。

それでも、自分ではそう思っていなくて、いろいろ話していく中で、「ああ、それがギャップになるのね」と気づくのだ。

私が真っ先に思い浮かべる「個性が強い人」は、グループの中でも目立つ人。

個性的な人はたくさんいるけれど、目立つ人ばかりに目がいってしまうから、あまり主張しない人は「ないもの」になってしまうのだろうか。

「濃い人」に引け目を感じて、自分で個性を打ち消してしまうから、余計にそうなるのかもしれない。

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末光 咲織

末光 咲織

東京都在住の会社員。文章を書くこと、音楽、演劇、ラジオが好き。周囲から否定される数々の経験が元となり、成長するにつれて感情を思うように表に出せなくなる。自分の人生なのに、自然と「裏方」になろうとしていたことに気づき、2016年の冬、生き方を変えようと決意する。本当はもっと表に出て、自分の思いを表現することで生きていきたい。将来的には、会社員+個人事業主として活動したい・・・と思っている。
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