「相思相愛」と「自信」について、腑に落ちてきた話。

「そもそも愛ってなんなんだ?」っていうところから考えた。

世界は愛でできている・・・って。これを「恋人同士の愛」に限定するから、いつまでも当事者意識を持てなかったんだ。

すべての「愛」がそういうことじゃないんだよ。まだまだ囚われている。固定観念の中で生きている。

 

自信をなくす原因、「これかー!」って思うものに行き着いた。

 

特に映画なんかの記者発表で感じていたこと。

役者さんが「自信作です!」「是非みなさんに見てほしいです!」という作品。いざ自分が見てみると、全然面白くない。

他にもある。人の言う「おすすめです!」も同じく。試してみたら「全然たいしたことないじゃん」ってなる。

この矛盾。どうして?って、ずーっと考えていた。

相手が好きなものを、必ずしも自分が好きになるわけではない。同じように、自分が好きなものを相手も好きになるとは限らない。

ものを介さない場合もそう。すべての人を好きになることはない。また、私も地球上の全員に好かれることはない。

 

私は友達だと思っていたのに、相手からはそう思われていなかった(もちろんその逆だってある)。

自信を持っておすすめしたものが相手に響かなかった。

好きな人(芸能人も含む)のことを話したら、「え、そんな人のどこがいいの?」って言われた。

考えれば考えるほど、受け入れられないのが怖くなっていく。

だから、自分の「好き」を公表できなくなった。

人がみんな「共通認識」の中で生きているとは限らない。意思の統一が必要な場面はあるけれど、100%ってなると難しい。

でも、それを「当たり前」と思えなくて。

自分の提供するものの価値を認めていない。同じように、自分の価値も認めていない。

100%愛される保証はないのに、100%の愛を注ぐ必要なんてあるのか?

受け入れられないことが前提としてあるから、「ジブンゴト」なのに全力で向き合えない。

これじゃあ自信なんか持てやしない。

 

考え続ける中で、ふわーっと降りてきたこと。「『私は』好きでもいいじゃん」。

私がそれを好きでいることは、他人に迷惑をかけるのか?そんなことないでしょ?って。

最高のものを提供して、それでもうまくいかないんだったら、それはそれでいいんじゃない?

役者さんたちの「自信作です」は正しい。見た人が感じる「面白くない」も正しい。

人がどう感じるかなんて、操作できないんだから仕方ない。違う人間なんだから、違う考えを持っているのは当たり前。

そんなことよりも、人のことを気にしすぎるあまり、自分の「軸」をぶらして生き続けることのほうがもったいない。

自分が愛しているものを、相手も愛してくれたら嬉しい。そうやって人は人(もの)のファンになっていく。

お互い好きになれたらハッピーだけど、合わないことがあっても仕方ない。万人に受け入れられるものなんてないんだから。

「自分の扱っているもの(商品)を、自分がいちばん愛していなければならない」。

よく言われることだけど、いまいちピンとこないまま、最近まで過ごしてきてしまった。

「いらない」って言われても、それは相手の価値観なんだから仕方ないこと。

好きになってもらうにはどうしよう、私の好きなものの良さ、気づいてもらうにはどうしたらいいんだろう。

そうやって考えるようになったら、仕事も楽しくなってきた。

それどころか、いろんな人と関わるのが「尊い」ことだと思えるようになってきた。

 

自分の扱う商品を、自分がいちばん好きになってあげる。

同時に、「自分」という商品のことも、自分がいちばん愛していなければならない。

自信を持つ・・・というか、「安心して『自分』を出していいんだ」ということに気づき始めた。

お得意の「内省」を繰り返した結果である。

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末光 咲織

末光 咲織

東京在住20代会社員。100%自分主体で生きていない・・・と感じ始めて早数年。この違和感をどうにかしたくて、自分らしく生きるための在り方・やり方を学んでいる途中。2018年は大きく変わる一年にしたい。
末光 咲織

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